『 わたしの・赤い靴 ― (2) ― 』
カチ。 ほんの形式的な、指一本でも壊せそうな小さな内鍵を掛けた。
「 ・・・ ふぅ 〜〜〜〜 ・・・ 」
その鍵のついた薄い木のドアの前に フランソワーズはぺたん、と座り込んでしまった。
「 ・・・ 内鍵のかかる部屋なんて ・・・ 何年、いえ 何十年振りなの ・・・ 」
膝を抱え顔を伏せれば 熱い涙がぼとぼととおちてきた。
こんな薄いドア、彼女自身でも簡単に破ることができる。 けれど内鍵のある部屋で
休むことができる ― 今のこの状況に涙が止め処なく流れ落ちる。
「 ・・・ やっと ・・・ あの島から逃げられた ・・・ わ ・・・ !
やっと 実験体・003 じゃなくなったわ ・・
でも ・・・ でも ああ 兄さん ・・・ 兄さん ・・・! 」
膝を濡らす涙は 次第に苦く・冷たくなってきた。
「 もう わたしには帰るところはない のね ・・・ 誰も知っている人はいないのよ
そう ・・・ フランソワーズ・アルヌール は もう死んでしまったの。
・・・ 40年以上前に ・・・ 」
きゅっと唇を噛んだ。 泣き声を漏らすまいとする、それは彼女の習慣にすらなっていた。
靴を脱いだ足先が 木製のベッドの脚に触れた。
そっか ・・・ ここは。 あの島でも逃避行用の潜水艦でもないのよ
十分わかっていることだが、肉体的な感触で彼女は今、やっと解放されたことを
身をもって感じることができた。
「 ― 泣いて いいのよ ね。 そうよ もう 泣いてもいいんだわ ・・・ 」
・・・・・・ !!! 膝を抱いたまま 彼女は声を上げて泣き始めた。
運命の嵐に巻き込まれ本来の自分自身の身体すら奪われさらに本来生きるべき時間まで失い
― ようやく今 脱出した。
BGのあの悪魔の島から 8人の仲間とギルモア博士と共になんとか逃亡に成功 ・・・
今 この極東の国に平安な日々を求めて辿り付いた。
ギルモア博士の旧友という気のいい老科学者の邸にとりあえず世話になることになった。
邸はかなり広い離れがあり、研究施設として使っているのでどうぞご自由に、と
その老人 ― コズミ博士は穏やかに微笑んだ。
「 すまんなあ〜〜 コズミ君 ・・・ 」
「 いやいや それよりも皆さん とりあえず休息したらどうですかな。
二階は個室が5部屋ありますから そっちも使ってもらって・・・ 」
「 ありがとうございます。 それじゃ一応二人一部屋で 」
004が手早く采配を振るう。 メンバー達はちらり、と顔を見合わせてから立ち上がった。
全員が移動し始める ― その直前に 老博士がのんびりと言った。
「 ・・・ あ〜〜 お嬢さん、こっちの母屋にどうぞ?
娘が嫁にゆく前につかっていた部屋があります、ご婦人にはちょうどよいでしょう 」
「 ・・・ あ ・・・? 」
「 003、使わせてもらえ。 」
004はそっと紅一点の背を押した。
「 ・・・ そんな わたしだけ、なんて ・・・ 」
「 いいって。 ドクター・コズミ、お願いします。 」
「 ほっほ・・・ さあさ こちらにどうぞ? ああ ギルモア君もなあ〜
母屋の部屋を使ってくれたまえ。 」
コズミ博士は 終始笑顔でギルモア博士と003を案内していった。
木と紙でできたみたいな部屋は それでもなぜかほっとできる空間だった。
初めてみるエキゾチックな場所だが 微かに懐かしい雰囲気も感じる。
コツン。 靴を脱いで低いベッドに腰をかけた。
さんざん泣いたのでアタマががんがんする。
「 ・・・ う〜〜〜 ・・・ ああ 目、冷やしておかないと ・・・
えっと ・・・ バス・ルームは向い側って聞いたわ ・・・ 」
立ち上がろうとしたら 足がよろけた。
「 ・・・ あ ら ・・・・。 いやねえ・・・だらしないわ。
・・・ 足 ・・・ わたしの ・・・ 足 ・・・! 」
裸足のまま つっとカカトを上げて立つ。 ゆらり、と上半身がゆれる。
「 やだ ・・・ もう〜〜 こんな簡単なバランスでグラつくなんて ・・・
ああ でも ・・・ 疲れているのよ。 それにもうずっとレッスンなんてしていないんだもの。
そうよ ずっと ・・・ ね ・・・ 」
すとん ― 再びフランソワーズはベッドに腰を落とし、そのまま横になった。
バスルームにゆくつもりだったけれど もうどうでもよかった。
・・・ ああ ああ ・・・ !
ともかく今夜は ― 全てをオフにして 眠れる ・・・ の ね ・・・
強烈な眠気が襲ってきて 彼女は意識を失うがごとくに寝入ってしまった。
・・・ ねむって ・・・ いい の ね ・・・
何十年振りかの 穏やかで自然で そして 優しい眠りが、フランソワーズを包みこみ
その翼に乗せていった。
ザザザ −−−− ・・・・ ザザザ −−−− ・・・・
そんなに遠くもない場所で その音はいつもいつも聞こえてくる。
目が覚める前から そして 眠りに落ちた後も。
カラリ。 フランソワーズはテラスへの窓をおおきく開いた。
「 ・・・ う〜〜〜ん ・・・ ああ いい気持ち♪ お早う〜〜 」
漂う潮の香に、吹きこんでくる風に挨拶をして 大きく伸びをした。
「 うふふ・・・新しい一日の始まり ね。 さあ〜 今日も頑張って片づけなくちゃ。
えっと〜〜 今日はカーテンを選んで リビングのカーペットも。
それから ・・・ ああ ベッド・カバーも欲しいのよねえ 〜〜 」
ギルモア博士が崖っぷちに建てた洋館は サイボーグ達の本拠地となり、そして彼らの
< ホーム > にもなった。
メンバーの半数はそれぞれの故郷に戻ったが 有事の際にはこの邸に集合する。
そして ― ここには博士と001、003が暮らし、地元出身の009が残った。
「 なんだかワクワクしちゃう♪ 家具やら食器とか揃えるって最高ね♪
海さ〜〜ん 今日もよろしく〜〜 波の音ってとってもステキだわ〜〜 」
永遠に続く寄せては返すその音は ― ついこの間までも彼女の周辺で聞こえていた。
あの悪夢の底の底に沈んだ島も 海に囲まれた世界だった・・・
しかしその暗黒の日々では 波の音に耳を傾ける余裕はなかった。
いや ・・・ それが波の音であることにすら気がつかなかったのだ。
今 やっと ― 終日繰り返す波の音に 耳を傾けることができる。
自分自身の周囲の景色やら 木々の葉擦れの音、道端に咲く野の花、空を飛び交う小鳥、
頬をなでる潮風 ・・・ そんなものに意識を向けられるようになった。
あ ああ ・・・ わたしの心が ・・・ 潤びてゆく ・・・ そう ね わたし ・・・ 自由になったんだわ !
― 自由に ・・・ 踊りたい !
岬の洋館での暮らしが軌道に乗り始めた頃、 フランソワーズは再び踊りの世界のドアを
ノックした。
その日 ― 博士は001を連れてコズミ博士宅に出かけていた。
夕食は ジョーとフランソワーズの < 差し向かい > となった。
「 あ〜〜〜 美味しかった〜〜 ご馳走様でした。 」
ジョーは箸を置くと ちょっと頭を下げてから手を合わせ食後の挨拶をした。
「 まあ よかった・・・ わたしのカレー、お気に召しましたか。 」
「 うん すごく♪ う〜〜〜ん
「 嬉しいわあ〜〜 」
「 ・・・ あ そうだ〜〜 ぼく、お土産かってきたんだ〜 えへへ・・・冷蔵庫に
いれといたから 出すね〜〜 」
「 え・・・ 嬉しい〜〜〜 ジョーったらいつの間に? 」
「 えへ ぼくだってそのくらいできるさ。 これね〜 バイト先で女のコ達の人気! 」
「 なにかしら ・・・ 」
ジョーはたたたっとキッチンに駆けこんで 四角い箱をもってきた。
「 じゃ〜〜〜ん♪ はい! とろとろ・とろけるプリン〜〜〜 」
「 わあ〜〜・・・ 初めて見るわ。 容器もカワイイ〜〜 」
「 ウン なんかね〜〜 今 モエ〜〜 なんだって 」
「 もえ??? 」
「 超カワイイってことらしいけど・・・ さ 食べようよ 」
「 ええ。 ・・・ ん 〜〜〜 ホント とろけるぅ〜〜 」
「 ん 〜〜〜 ま〜〜 」
とろとろ・プリン を食べながらジョーはさり気なく話を向けた。
「 で 例の舞台の準備はどんなかんじ? そっけない氏は相変わらずなのかい。 」
「 そっけない氏? 」
「 ウン そのパートナー氏さ 」
「 わたし ― このままじゃ イヤだわ。 あの踊りじゃ 『 赤い靴 』 じゃないもの。」
フランソワーズは 断固とした口調で言い切った。
「 フラン ・・・ 話てくれる? 」
「 ・・・ え? なにを ・・・? 」
「 きみがこだわる理由 ( わけ ) を さ。 赤い靴 ってイメージに
なんかすごくこだわっているみたいな気がするんだ あ 違っていたらゴメン ・・・ 」
「 ・・・ 違ってなんか いないわ 」
フランソワーズはプリンの空いた容器を前に ゆっくりと話始めた。
BGのあの悪魔の島で ― わたしはずっと心の中で踊っていた。
それまで踊った作品の振りを すべてなぞっていた ・・・ そうしなければ心がぼろぼろになりわたしは
人間としての精神を保ってはいられなかっただろうと思うわ。
最初の頃ね、与えられた独房に近い個室で こっそり踊っていたこともあったの。 でも。
「 アレは踊り子か? 」
「 へっへっ・・・ ストリップでもやらせるかあ? 」
BGの監視員の下卑た声を拾ったとき、わたしはひそかなレッスンをやめた。
もとよりプライバシーなどなかったし常に監視されているのはわかっていたのだが
・・・ 身元が知れることは極力避けなければならなかった。
わ わたしだけじゃなくて お兄さんにもしものことがあったら!
そんなこと 絶対に阻止しなくちゃ・・・!
それからはずっと ・・・ 心の中で振りをなぞっていたの。
オーロラ も ジゼル も オデットも。 スワニルダ も エスメラルダ も リーズも。
いえ 主役だけじゃないわ、踊ったことのある、習った記憶のある踊りは全部 ・・・
こころの中で踊っていたの。
そうすることで わたしは闘う機械に成り果てることから辛うじて逃げていられたの。
・・・ え? コールド・スリープから覚醒した時?
それは ・・・ もう故郷には帰れないんだって絶望したわ ・・・
でもね なにかが ― わたし達の周囲がほんの少しづつ変化し始めたのを感じたの。
だから 生きてこられた。 ほんのわずかな希望でもわたしは縋り付いてそれで生きたかった。
自由の身になった時 ― 誰はばかることなく自由に踊れる環境を手にいれたとき
わたしは わたしの身体がまったくわたしの意志通りに反応しなことに気がついたわ
こんなの わたし じゃない ・・!
声を上げて泣いたわ。 この作り物の身体を呪ったわ。
でも どしても どうしても もう一度踊りたかった ― だから 一番ポジションからやり直したわ。
あ ・・・ 一番ポジションっていうのはね、最初に習うバレエの基本のことよ。
わたしは 赤い靴を脱ぎたくはなかったの。
ことん。 冷えたお茶を一口飲んでフランソワーズは目を伏せた。
「 そっか ・・・ 」
フランソワーズが長い長い話を終えたとき、ジョーはぽつりと一言もらした。
「 ・・・・・・・ 」
「 話てくれて ありがとう。 ごめん ・・・ 辛いこと、思い出させちゃったよね 」
「 ― 聞いてくれて ・・・ ありがとう ジョー。 こんな話、いやでしょう? 」
「 そんなこと! きみは ― 強いね。 」
「 ・・・ 強くなんかないわ ・・・ でも ね ・・・
だから 今、ほんの少しでも踊れるチャンスを得られた今 ― いい加減には踊りたくないの。
・・・ これってわたしのワガママかもしれない けど 」
「 ちがうよ。 」
ジョーは はっきりと断固として言い切った。
「 え ? 」
それは普段のどちらかといえば優柔な彼の雰囲気とはかなり違うものだった。
「 ・・・ あの ・・・? 」
「 ウン。 それは違うよ。 きみのワガママなんかじゃないよ。 」
「 そ そう ・・・? ありがとう ・・・ ここでいろいろ言っててもどうにも
ならないけど ・・・ 」
「 どうにかしよう。 いやきみは踊ることに集中していて。 」
「 え ? 」
「 ちょっとね〜 バイト先の上司のヒトに相談してみたんだ。
雑誌社だからね〜 顔が広いんだ。 なにかツテがあるかもしれない 」
「 ジョー ・・・ あなたに迷惑をかけたくないわ。 」
「 迷惑なんかじゃないよ! ぼくは ― き きみを ・・・ あ〜 あの〜〜
できる限り応援したいんだ。 ぼくがきみのためにできること、やらせてくれよ。 」
「 ジョー ・・・・ 」
彼女の目の前には いつものちょっとはにかんだ笑みを浮かべた気の優しい年下のオトコノコ ではなく
確固たる意志をもった一人の青年が いた。
「 ・・・ ジョー ・・・ ジョー ・・・ ありがとう ・・・! 」
「 あは まだどうなるかわかんないよ〜〜 」
「 ううん ううん ・・・ ジョーのその気持ちがうれしくて わたし・・・ 」
ぽと ぽと ぽと ・・・ テーブルの上に本当に熱い涙が落ちる。
「 あ 泣くなよ〜〜〜 笑って! ね! きみの笑顔がさ ぼくの生きるエネルギー
のモトなんだからあ〜〜 ね? 」
「 ジョー ・・・・ 」
「 ほらほら 笑って。 それで好きなだけ踊って欲しいな〜 」
「 ・・・ ウン ・・・ 」
「 あ は。 それでこそぼく達の 003 だよ〜〜 」
「 ・・・ < ぼく達 > ? 」
「 あ え〜〜〜っと。 ぼく!の。 ぼくの・好きな!! フランソワーズだ! 」
「 ジョー 〜〜〜 」
きゅ。 細くてしなやかな腕がジョーの首ったまに絡みついてきた。
「 う わぁ・・・・うわ〜〜〜 ♪ 」
そ・・・っと回した腕が すぐにしっかりと彼女を支えた。
「 あの。 え〜と ・・・ 好きです 好きだよ あ いしてる〜〜 フラン 」
「 んん〜〜〜〜 」
多少どさくさ紛れっぽい・一世一代の告白に 彼女はあつ〜いキスで返事してくれた。
うわっほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪ やた〜〜〜〜〜〜〜〜 ♪
― 数日後 ・・・
人の出入りが多い、所謂チェーン店のカフェで その女性( ひと ) と会うことができた。
わたしも行く、とフランソワーズはきっぱりと言い切ってついてきた。
彼女 ― 加奈理恵子嬢は地味な服装で現れた。
「 あ ・・・ カナさん、ですよね? ぼく、島村といいます。」
ジョーは すっと立ち上がると丁寧に挨拶をした。
「 ・・・ あの? アンドウさんのお知り合いの方・・・? 」
「 はい。 すみません、お呼びたてしまして・・・ 」
「 アンドウさんからのご依頼だから ・・・ 来たけど。 なにかしら。 」
「 あの。 『 赤い靴 』 のことなんです。 」
「 ?? アナタが?? 演出の方? 」
「 あ ぼくじゃなくて ― 彼女が。 アルヌールさん、です。 」
「 初めまして ・・・ フランソワーズ・アルヌールです。 」
「 Bonjour? カナリエコです。 私、留学してましたからフランス語でも大丈夫ですよ?」
「 あ ・・・ 日本語でどうぞ。 あの わたし。 こんど白鳥先生のところの公演で
『 赤い靴 』 の芯を踊ることになりました。 」
「 ! ・・・ そ う ・・・あれを上演するのね ・・・ 頑張ってね。
私は ― バレエ団とはもう無関係な人間ですから ・・・ アナタの活躍をお祈りしていますわ。 じゃ ・・・ 」
「 あ! 待ってください! あの! 教えてください! 」
逃げるみたいに立ち去ろうとしたリエコ嬢を フランソワーズは必死に引き留めた。
「 なにを?? 私には教えるなんてこと、できないわ。 」
「 いいえ いいえ! 教えてください!! カーレンの踊り ・・・
必死で踊っても ムッシュ・森山はなにも言いません。 間違えた時でも同じなんです。 」
「 彼は ― もともと不愛想なヒトだから ・・・ 」
「 一言だけ < リエコはあんなふうにはおどらない > っておっしゃいました。
アナタはどんな風に踊るのか ・・・ 是非教えてください。 」
「 ・・・ 本当に? 」
「 もちろんです! 」
「 いえ コウイチのことよ。 彼は本当にそんなことを言ったの? 」
「 はい。 わたしがリエコさんの踊りを尋ねても 答えてくださいません。 」
「 ・・・ どうして ?? 私は − もう彼のパートナーじゃないのに ・・・ 」
「 なぜ? 」
「 − なぜ・・・?
」
「 ええ。 なぜ ― 靴を ・・・ 赤い靴を自分から脱いでしまったの? 」
「 ・・・ 赤い靴を? 」
「 そうよ! 」
「 だって・・・ 踊れない私には必要ないわ。 」
「 なぜ? 本当に踊れないの? そんなに酷い怪我だったの? 」
「 ・・・ 事故の後、歩けるようにはなったけれど もう踊るのは無理だったわ。
アナタならわかるわね? 靭帯が切れてしまったら ― プロのダンサーとして
やってゆくのは難しいの。 趣味程度でお茶を濁すくらいなら 踊らない方がマシ。
だから バレエ界からは引退する決心をしたの。 でもそうしたら ・・・
コウイチまで踊りをやめる、と言ったの。 自分もバレエ団を辞めるって。
そんなこと だめ。 彼は彼の才能を存分に開花させるべきよ。 」
「 ええ そうね。 ムッシュ・森山は才能のあるダンサーだわ。 」
「 私のことで彼の脚を引っぱりたくない・・・ 彼は彼が本当に望む道をゆかなくちゃ。
・・・ 愛しているから。 彼にはダンサーとして輝いて欲しいの。
だから ― 今の私は ・・・ 彼の前から消えた方がいいのよ。 」
ぽとり。 ぽと ・・・ ぽと ・・・ テーブルに涙が落ち始めた。
「 愛している のね ? 」
「 愛しているわ! 二人でずっと踊ってゆこうって・・・ 言っていたのよ。
古典だけじゃないわ、ネオ・クラシックの作品も創作も ― 二人で ・・・
でも ・・・ 私はもう彼と一緒には歩けない ・・・ 必要のない存在・・
いえ それどころかコウイチの才能の芽を摘んでしまう ・・・ 」
「 そんなこと ないわ! 彼にはアナタが必要よ! 」
「 ― アナタに なにがわかるの!? 踊れるアナタに ・・・ まだまだポアントを履いて
踊り続けることができるアナタに ! 」
理恵子は 顔をあげると怒りに燃える瞳をフランソワーズに向けた。
「 わかるわ。 わたし ― 事情があって突然踊ることを奪われたの。
人生の全てが崩壊したわ ・・・ 今 ここにいるのは奇跡のようなもの ・・・ 」
「 !? 」
「 どうしてなんとか生きてこられたと思う?
それは ね。 もう一度踊りたい その想いをすてなかったから。
わたしはその望みだけに縋って生きてきたの。 」
「 ・・・・ 」
「 これはわたしの事情。 どうぞ聞き流してください。
ね、聞きました。 あの作品は アナタとコウイチさんのために振付られたものだって・・・
だから ― いつかアナタの手で完全な形で再演してください。 」
「 私の手で? 」
「 そうよ。 リエコさん、アナタと森山さんの手で。 」
「 でも・・・私は もう踊ることは ・・・ 」
「 アナタが想いを託せる踊り手を 育てて。 どんな形でも踊ることから去らないで・・・
ね ・・・ 赤い靴を捨てないで 」
「 踊れない私に ・・・ できるかしら。 」
「 できるわ、きっと。 だってリエコさん、アナタは赤い靴を脱ぎたくはないのでしょう? 」
「 ― そうよ ・・・ ! もう踊ることへの未練は捨てたつもりなのに・・・
二度とあの世界には戻らないって決心したのに ・・・
でも 私は ― 音楽を聞けば身体が動くわ。 覚えている振りをなぞっているわ 」
「 ねえ ? 捨てることなんてできやしないわ。 捨てる必要なんてないです。
わたしは わたしの赤い靴 への想いをこめて踊ります 見ていてくださいますか。 」
「 ええ ええ。 しっかり見るわ。 あ ・・・ ゲネに行ってもいい?
・・・ 白鳥先生が許してくださったら ・・ 」
「 勿論! わたしからお願いします、そして どうぞたくさんダメ出ししてください。 」
「 ― フランソワーズさん ・・・ 」
「 それでね お願いあります。 アナタから ムッシュ・森山に言って? 」
「 コウイチに? なに を 」
「 わたしはパートナーだけど。 同じ踊りを踊るライバルよ。
いい加減は踊りなら わたしに蹴飛ばされるわよって ― ! 」
昼間の喫茶店は ま〜〜ったりした空気がいっぱい ― で 客は窓際のカップルだけだった。
隅っこにいるから目立たないが 茶髪の青年と金髪のレディの美男美女だ。
チリン ・・・ スプーンが微かにソーサーで音をたてた。
「 うふ ・・・ なんだか偉そうなこと、たくさん喋っちゃった・・・ 」
フランソワーズは くすっと笑った。
「 ううん ううん! ぼく ・・・ すご〜〜く感動しちゃったよ! 」
「 そう ? 」
「 うん! 」
二人は理恵子と会ったあと、場所を変えてほっと一息ついている。
「 ともかく! わたしにできることは、できる限り頑張っていい踊りを踊るだけ。
リエコさんの分も よ。 」
「 そうだよね。 ・・・ でもさ〜〜 なんかこう・・・羨ましいな〜 」
「 羨ましい?? なにが。 」
「 え あ うん・・・ きみが。 そんなに好きなモノがあるって・・・ いいなあ。 」
「 あら ・・・ ジョーにだってあるでしょう? 」
「 え ぼく ? 」
「 ええ。 一番好きな・・・っていうか 大切なもの。 どんなことがあっても諦めたり
できないこと よ。 」
「 え ・・・ 趣味 とか? 」
「 趣味よりももっと大切なモノよ。 それがあれば生きてゆけるモノ・・・
ジョーだったら ・・・ あ 車とかかしら? 」
「 車は趣味だな ・・・ あ ― ある。 うん あるよ。 」
「 でしょう? それがあるからどんなコトがあっても生きてゆけるっていうモノ。 」
「 うん。 ぼく、 そのためにならなんだってできる。 命、賭けられる。 」
「 わあ〜〜 すごい〜 さすが009ねえ。 ・・・ ね なあに? おしえて? 」
「 ― あ は ・・・ ナイショ。 」
「 え〜〜〜 いいじゃない〜〜 教えてよ〜〜 」
「 や だ 」
「 わあ〜 意地悪ぅ〜〜〜 誰にも言わないから〜〜 教えて〜〜
」
「 ・・・どうしようかなア〜〜 」
「 今晩 カレーにするから! おしえて〜〜 」
「 わい♪ じゃあ〜〜 デザートはねえ、きみのみかんゼリー、作ってくれる? 」
「 ( ・・・ ジュレ・オランジェ のことね ) いいわ! 」
「 あの さ ・・・ き み 」
「 ?? なにが。 」
「 なにが・・って その〜〜あの〜〜 きみが言ってた大切なモノ! 」
「 < きみ > って なあに? 」
「 ! あ あの! フ ・・ フランソワーズ・アルヌールって女の子!! 」
「 ・・・ え ・・・ ウソ ・・・・? 」
「 う ウソなもんか〜〜 ホントだよ!
ぼく ・・・ き きみがいるから! きみがいてくれるから! 頑張れる。
きみがいるからここまでこれたよ。 きみが いるから ・・・
う〜〜〜 あ〜〜〜 その つまり。 きみが 好き デス〜〜〜 」
「 ・・・ ジョ ジョー ・・・ そんな大声で ・・・ 」
「 あ ご ごめん ・・・ 」
誰も他の客のいないカフェで ― 見目よいカップルは真っ赤になり俯きあっていた。
― 白鳥バレエスタジオ定期公演 は客席も舞台も、共に熱気のうちに当日を迎えた。
創作バレエ 『 赤い靴 』 今回が初演でスタジオメンバーが総出演していた。
「 さあ〜〜〜 皆 この調子で、 ううん 一番イイモノをお願いね〜〜 」
最終ゲネが終わった時に 芸術監督を兼ねる白鳥女史は客席から絶叫した。
( 注 : ゲネプロの時 監督は客席からマイクでダメ出しします )
「 は〜〜い 」
「 うぉ 〜〜 」
ダンサー達は皆かなりのハイ・テンションでゲネプロを終えた。
「 ムッシュ・森山 ? 」
「 うん? なにか ・・・ フランソワーズ嬢? 」
「 よろしくお願いします。 わたし ― 負けません。 」
「 僕こそ。 君には負けない。 赤い靴を操る悪魔だからね。 」
「 うふふ・・・ 少女はね、 きっと悪魔が好きだったのよ。 」
「 そう かな? ― きみは いいパートナーだ。 」
「 アナタも。 」
白い手がすっと差し出され ・・・ 森山氏はしっかりと握りかえした。
「 ・・・ ありがとう! 」
「 それは ― 踊り終わってから。 」
「 そうだね。 よろしく。 」
「 お願いします。 」
二人のダンサーは 強い光を湛えた瞳で見合った。
プログラムは進み いよいよ『 赤い靴 』の幕が開く。
上手 ( かみて ) 下手 ( しもて ) にはダンサー達がスタンバイしている。
その一番後ろに 加奈理恵子 がいた。
「 踊って! コウイチ、そしてつよく生きて! 」
「 二人で さ。 二人で後進の指導に全力を注ごう。 」
「 ― ええ。 」
コウイチとリエコは黙って見つめあい ― コウイチは舞台に出て行った。
赤い靴を履いた少女・カーレンは 運命に翻弄されるがごとく踊り踊って踊り狂う。
その背後には 姿を変えた悪魔が見え隠れしている。
やがて ― 舞台は終幕の パ・ド・ドゥ が始まる。
少女は魔性の靴屋でもあり、恋人でもある悪魔と踊るのだ。
「 ムッシュ・森山、よろしく! 」
「 フランソワーズ よろしく。 」
二人はどこか懐かしい音楽にのってめくるめく光の世界に身を投じていった。
ね? ダンサーはね、誰もがみんな赤い靴を履いているの
***************************** Fin.
*****************************
Last updated : 01,13,2015.
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************** ひと言 **************
かなりヲタなハナシになってしまったですけど・・・・
踊るフランちゃんは 強い!!! それを書きたかったのです。
< 赤い靴 > は 一生履いているだろうなあ ・・・・